Forest & Music

森と音楽

認知症になるということ

母の認知症はかなり進んできています。

今朝も6時半前から午後になってもガンガン電話がかかって、その対応に疲れてしまいました。電話は同じことの繰り返しばかりです。

「現金がまったくない。買い物も行かれない。食べるものがなくてもう私はダメかも」

すぐに実家へ行かれないので、ネットスーパーを使って食料品を送りました。

そのやり取りの中で「私は絶対、施設にだけは入らないからね」と語気を強め、どうして?と尋ねると「みんなが施設は良くないと言っている」、みんなって?「デイサービスの人たち」

頑なに自宅にこだわるのです。ヘルパーが家に入るのは嫌だ、デイサービスは辞めたい、と次々とジャブを繰り出します。では何がしたいの?と聞くと「家で一人でいる」と答えます。

ご飯も作れなくなりつつあり、お金の管理もできなくなっていて、お風呂も入れずデイサービスでお世話になっています。それでも家にはこだわっているのです。正面から向き合っていると疲れます。エネルギーを吸い取られているのがわかります。他人だったらこんなに消耗しないのに、親子だからということもあるのかもしれません。

高齢者にとって自宅とは、なにか特別なものなのでしょうか・・・。

 

義母も今は施設ですが、施設に入ったばかりの時は「家に泥棒が入ったらしいから帰りたい」「家に警察が来ているようなので戻りたい」と家にこだわっていました。今はすっかり穏やかで家のことも忘れているようにみえます。

 

家にこだわるように見えて、本当は違ったところにその理由があるのかもしれませんが、それが何なのかはわかりません。

私が年を取って認知症になったら同じように家にこだわるようになるのでしょうか。うーん、気をつけよう。

 

 

認知症のスケールで使われている「長谷川式簡易知能評価スケール」を作った長谷川和夫先生は、認知症になり本を書かれました。

 

 

当事者になった時に見える景色・・・。

 

今週は電話の回数がひどく多くて、明日もまた朝から電話がガンガンかかってくることを思うと気が重いですが、なんとか踏ん張って受け止めようと思っています。