Forest & Music

森と音楽

答えの出ない問題を思う

秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚の死刑が執行されました。

2008年、秋葉原で何の罪もない人達が、突然命を奪われました。本当に痛ましい、悲しい、許せない事件です。亡くなった方々、怪我をした方々のその後の人生が狂ってしまった、残されたご家族の悲しみはずっと続くのです。でも起きてしまった事件は戻すことができません。

うまくまとまらないのですが、今感じていることを言葉にしてみようと思います。

 

私は精神保健福祉士を持っているので、今回の加藤死刑囚の死刑執行は非常に考えさせられました。ただ、一つ思うのは、加藤死刑囚は他者を殺してまでも生きたかったということだと思っています。

 

今はアナログよりもデジタルの方が尊重されているような世の中の風潮です。たしかに手書きのFAXで送られてきたものをまとめるのは大変な作業ですが、これがデジタルのデータで送られてくれば、簡単に共有でき、一部のデータを取り出したり、比較したりということが誰でもできてしまいます。そんなデジタルの優れた面が人間の心や野生生物の命に当てはまるのかといえばNOだと思っています。

生き物の世界は1か0かではないのです。悪い奴だったから、人を殺めたから0でいいとは言えないのではないかと思うのです。特別外来生物に指定されている動植物も、在来種を駆逐してしまう、悪いから0にする、というのではなく広がらないようにするということで対処できないか、問題を起こしてしまった人に再生するチャンスはないのか、私達は加害者のどこを切り取って見ているのだろう。マスコミはどこを切り取って伝えているのだろう・・・。0から1の間には限りなく数字があるのです。

 

日々の生活の中で色々なものを包括できるような、切り取り方を変えてみるような心の余裕、余白がなくなりつつあるような気がします。情報過多で日々が忙しいということも一つの要因かもしれませんが・・・。

難しいかもしれませんが、でもそこに至った理由、原因を丁寧に検証しての結果だったのでしょうか。

生きている人、動植物の命。その重みを色々と考えてしまいました。

 

 

もっと人に優しい社会、孤独にならない社会を作ることが本来の政府、行政が目指す方向なのではないでしょうか。人の心はハード面だけでは解決できません。もっとソフトの面を充実させるためにもお金を使ってほしいと切に願っています。

 

 

森と音楽でやりたいと思っているのは、well-beingです。音楽や森林の活動はウェルビーングのための手段です。小さな活動でも、そこに個々のウェルビーングの実現を目指したいと思っています。